思い出の日本一

東京に嫁いだ叔母が従弟を連れて里帰りするというので,なにか物見遊山にと祖母ともども母に連れられて皆で建ったばかりのテレビ塔を見にいった記憶がある.
いつだったのか正確には憶えていなかったので家族写真の旧いアルバムを繰ってみたら昭和 31 年(1956 年)の正月,筆者7歳小学1年のときであった.
テレビ塔が建ったのは昭和 29 年(1954 年)の6月だというから,ちょうど1年半後のことで,久屋大通りに挟まれた地はまだ土の肌を露出したままで,屹立する塔がその高さのみを誇る光景であったような印象である.

テレビ塔の写真

このときなのか,別の機会だったのか定かでないが,塔は日本一の高さを誇るのだと聴かされた憶えがある.実際,名古屋テレビ塔は本邦最初の集約電波塔として建設された.
ただ,名古屋市の自慢は筆者らが訪れた2年半後に東京タワーが立ち上がって霧散することになる.
ほぼ4年間の短い期間の日本一を経たいまは電波塔の役割を全うして見晴らしを売り物にしたホテルに化しているようだ.

数日の正月を過ごした幼い従弟らを母とともに名古屋駅まで見送りに行った.
名古屋駅は5階建てを両翼にした正面入口6階建ての長大なコンクリート造りで昭和 12 年(1937 年)に3代目の駅舎として建築されたものであった.
敷地なのか建坪なのか,あるいは延べ床面積なのか,なにを基準にしてのことか定かではないなか,ともかくも東洋一の規模を誇ると喧伝されていた.
国鉄時代であったから駅の機能のほかに鉄道局の事務所も置かれていたために規模が大きくなったらしいのだが,建築当時は国威発揚を是とする時代のただ中で東洋一という表現は巷間にしばしば流布され,名古屋駅もそのひとつであったのだ.
乗降客の数なら八重洲の東京駅の方が勝っていたようにも想像するが,駅舎の規模は東洋一,当然ながら日本一と評されていた.

昔の街の風景

駅舎は空襲によって一部を火災で損傷しながらも本体は平成 11 年(1999 年)の JR セントラルタワーの竣工まで 60 余年のあいだ威厳を保った.
セントラルタワーも巨大なビルではあるが,同じていどのビルを東京や大阪に探せばいくらでも見つかるだろうから,テレビ塔よりも 40 年ほど永らえたものの建て替えによって名古屋からまたひとつ日本一の呼び声が消えたのである.

昭和 14 年(1939 年),名古屋市は名古屋汎太平洋平和博覧会と銘打ったいまにいう万博に似た催しを開く.
会場は熱田に設営されたが,同時に観光の名所も整備すべしと考えた市は鶴舞公園にあった市立動物園をまえもって昭和 12 年(1937 年)に市東部の外れであった東山に移設する.

むろん戦後のことであるが,幼い筆者も祖父や母に手を引かれ幾度となく同所を訪れた.
いまでもその名残があるようだが,入口から少し進むと背丈を優に凌ぐ巨大なコンクリート製の恐竜が数体配置されていた.高台から曲がりくねった細い坂道を小児用らしき台車で滑り下っていくジェットコースターを模したような施設もあった気がする.
コアラの提供などの噂もない時代である.
おそらく,昭和 30 年代(1950年代)の記憶なのだろうが,そのなかにこの動物園も日本一だとの認識も含まれていた.

園の広さなのか,動物の多さなのか,動物舎の規模なのか,なにを基準にしたのかなどは脳裏の外であったが,ともかくも動物園(植物園は3週間ほどまえに開園されていた)も完成時には東洋一だと喧伝され,戦後まもなくも日本一だとの評判が筆者の耳にも入っていた.

戦前に好まれた東洋一との表現は廃れたものテレビ塔,名古屋駅,東山動植物園の三施設は日本一の評判を得て名古屋人のちょっとした自尊心を満たしていた時期があったのである.
過酷な戦いに敗れたとはいえ,まだ日本人には過去の誇らしさがところどころに残されていた波瀾の昭和が終り,平成そして令和に遷ると専らSNS を介した個人的な価値観が流布するようになったり,皆が有名人に似た存在になりもするので,東洋一はむろん日本一などといった評価をあまり耳にしなくなってしまった.
日本以外にも急速な発展を遂げる国が増えたため,施設が一番だの二番だのいったところで始まらない時代になったのかもしれない.
それよりも些細な個人的な価値観の方が人々のこころを掴む時代になったのであろう.
昭和生まれの筆者には少し淋しい気分が残るがしかたない時の流れである.

今回は『思い出話』なので時代の流れを懐かしんでこの辺りで締めくくりとしても許容範囲かと思うが,どことなくもやもや感が残らないか.
そう,そのとおりで,東山動植物園の地位がどうなったかまだ言及していない.

哀れしくも名古屋駅もテレビ塔もいまは日本一の地位を失ってしまった.
東山動植物園も同じ推移を辿っていれば話の流れは滞らない.
ところが,入場者数こそ二位に甘んじているものの,園の面積や動物の種類と数は上野動物園や天王寺動物園をいまだ大きく凌いでいるらしい.
他書によると園の広さは上野動物園の4倍余,動物の種類は 1.5 倍弱,動物の数に至ってなんと 7.5 倍余に及び,同園はいまだ日本一の規模を維持しているというのだ.

ヒトの価値観が異質になったとはいえ,白黒が逆転するような極端な変化をみるには半世紀余はまだ短い.
東山動物園は僅かながらも名古屋人を鼓舞する存在として残っていたのだ

(エスエル医療グループニュース No.169 2025年4月)

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