- 2025.5.26
- 森川クリニック
- 投稿者:森川 建基
先日夕方、8階のクリニックからふと空を見上げると、次々と流れていく雲の姿が目に入りました。その消えゆくはかなさは、自分の命と同じだなーと、久しぶりに奇妙な一体感を覚えたものです。
日本にいて、このような感覚を比較的簡単に得られるとしたら、それは私が5年前まで暮らしていた静岡の自然環境です。
当時私は、静岡のてんかん・神経医療センターに勤務していましたが、毎週日曜の朝、天気が良ければお茶畑を2時間近く無心で眺めるのが習慣でした。
この「幸せな解放された時間」には、比較的容易に無心の状態になり、お茶の葉が風にそよいでサラサラと揺れる様子が、素直に心の中に入り込んでくるのです。
そんな心理状態の中で、まさに「ボーッとして」、全く動かずに坐っている私を見た外国人の留学医師が、「森川先生、メディテーションの方法を教えてください」と尋ねてきたことがありました。まるで修行中の僧のように見えたのかもしれません。
過去の経験で、北欧を旅したときにも、空や雲と一体化するような感覚を自然と得られました。
なぜそんな感覚になれたのでしょうか。北欧の雲は緯度が高いせいか、まるで西欧の油絵に描かれた雲のように、眼前に迫るような存在感があり、その“油絵のような雲”が、一体感を得やすい心理状態を作るのではないかと考えたりもします。
確かドイツ語で「ゲラーゼンハイト(Gelassenheit)」という言葉があります。日本語に訳すのは難しく、仮に「放下(ほうげ)」という訳語が当てられることがあります。これは「自己を解き放ち、何者にもとらわれない、自由で無心の境地に至ること」とされていますが、実際にはなかなか到達が難しいものです。
しかし、もしそのような心理状態でいられたなら、雲との一体感や同化感が得られるのでしょう。さらに深く考えると、それは生死を超えたところで、生き物である私と、無生物である雲との間の垣根が取り払われ、「しがらみだらけの私の心」がまっさらな状態に解き放たれる、そんな瞬間でもあります。
もちろん、これは宗教的な「悟り」とはまったく別のものだと私は考えています。
名古屋のSLクリニック近辺には、静岡のようなお茶畑は無いけれど、雲以外にも、きっと心を癒してくれる何かがあるのではないかと、今も探しているところです。
エスエル医療グループニュース No.122(2009年12月発行)

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